「お水取り」は東大寺二月堂修二会全体を表わす俗称になっていますが、実は修二会の付加儀礼の一つです。十二日の夜半すぎ、二月堂下にある若狭井の香水を汲んで観音さまにお供えするところから「お水取り」の言葉が生まれたとのことです。
修二会とは旧暦の二月に厳修する「ほうえ法会」という意味で、一ヵ月近くに及ぶ長期の行事です。三月一日から十四日までの本行と、この本行のための準備をする二月二十日から二十八(二十九)日までの前行(別火)に分かれています。修二会の始まりは大仏開眼の年、七五二年に遡ります。東大寺の危機存亡のときも乗り越え千二百有余年の間、一度も止むことなく連綿と今日に引き継がれています。
私たちがメディアでよく見かけるのは、大松明が登廊を経て二月堂の欄干上に現わす姿で、これが夜の法会の始まりです。午後七時、一本ずつ計十本、火の玉となった大松明がゆっくりと登廊を上がり、炎を燃え上がらせ、火の粉を飛び散らせながら、欄干を駆け抜けます。その姿は幻想的で、言葉にできない荘厳さを感じます。
そのわけは修二会の正式名称「十一面けか悔過」に隠されている気がします。二月堂のご本尊である十一面観世音菩薩の前で、連行衆という選ばれた僧侶(現在は十一人)が、僧侶自身のみならず他のすべての人が日常犯しているさまざまな過ちをさんげ懺悔されるのだそうです。だからこそ、人々は無病息災を願って火の粉のかかる場所に近づき、燃え殻を拾い集めて持ち帰るのだとわかりました。
二月堂下の参籠宿所入り口でかみ紙こ衣姿の上野道善東大寺執事長が話してくださいました。ー修二会は「水と火」ー
(参考文献:東大寺発行パンフレット) |